英国の雇用審判所が、AIで作られた長大な申立書の急増に対応する指針を出しました。
英国イングランド・ウェールズ・スコットランドの雇用審判所が2026年6月22日、暫定的救済(interim relief)の申立てが年20件規模から月20件規模へ増えたことを理由に、新しい運用指針を施行しました。増加の背景として司法自身がAIの利用を挙げている点が、日本のEC事業者にとっても他人事ではありません。書面を作るコストがほぼゼロになった世界で、受け取る側の処理設計をどう変えるかという問題だからです。本記事は、EC支援19年・5,000社超の実績を持ち、AI導入支援は2023年から提供する株式会社オルセル(うるチカラ運営)が解説します。

英国の雇用審判所で起きたこと
英国の雇用審判所は、暫定的救済の審理を原則3時間以内に区切る運用へ切り替えました。指針を出したのは、イングランド・ウェールズ雇用審判所長官のバリー・クラークと、スコットランド雇用審判所長官のスーザン・ウォーカーの2名です。指針の原文は英国司法当局のサイトで公開されています。
暫定的救済は、不当解雇の申立てが審理されるまでの間、解雇の効力発生を止める緊急措置です。指針によれば、これまで英国全体で年20件程度だった申立てが、いまはほとんどの支部が毎月同程度を受理するようになりました。中心は内部告発にあたる保護開示案件で、添付書類の量も大幅に増えています。緊急性ゆえに優先的に期日が入るため、他の審理が後ろ倒しになり、成功率が低いまま件数だけが増える構図が問題視されました。
指針はAI利用そのものを禁じてはいません。「AIの利用に原則として異論はないが、提出物が長く複雑になり、無関係な資料を含み、争点に焦点が当たらない結果を招くことが多い」と述べたうえで、簡潔さ・関連性・正確性を保つ責任は提出した側にあると明示しています。運用面では、裁判官の読み込みに1時間、双方の口頭主張に各30分、判断と口頭判決に1時間という3時間の内訳まで示し、時間内に読み切れない量が出された場合は重要書類の特定を求めるとしました。
現場の実態も報じられています。IBTimes UKによると、3月末時点で未済の単独事件は6万4,000件で、前年同期の4万5,000件から増えました。同記事は、NHS職員がGrokを使って282ページ・67項目の主張を含む申立てを作成し、実際に依拠するのは1割程度だと述べながらどれかを特定できなかった事例を伝えています。法廷弁護士のジョン・バウワーズは、マグナ・カルタから欧州人権条約まで何でも投げ込まれてくると表現しました。クラークは、従来のように景気後退が引き金になった兆候は見当たらないと述べています。
日本のEC事業者にとっての3つの論点
第一に、書面作成コストがゼロに近づくと、ボトルネックは受け手の読む時間へ移ります。英国で起きたのは件数の増加だけでなく、1件あたりの分量の膨張でした。ECでも同じ構造が起こりえます。返品や返金の要求、レビュー削除の依頼、景品表示法や薬機法の表現に関する指摘、特定商取引法の表記不備の指摘が、条文を列挙した長文で届くようになるからです。楽天市場のRMSに入る問い合わせ、Amazonのバイヤーメッセージ、Shopifyの問い合わせフォームのいずれでも、件数は横ばいでも総処理時間だけが伸びる事態が想定されます。カスタマー対応のKPIを件数だけで見ている店舗は、この変化を数字で捉えられません。1件あたりの平均処理時間と、1,000字を超える長文の比率を並べて見る必要があります。
第二に、長さは主張の強さではない、という前提を運用に落とすことです。英国の司法は、量に押されるのではなく、時間を固定して重要書類の特定を求める方向へ舵を切りました。EC事業者が真似できるのは、長文が届いた時点で争点を絞り込む一次返信です。求める対応が返金か交換か表記の修正か、対象の注文番号はどれか、根拠として挙げている事実は何か。この3点の確認を先に返すだけで、以降のやり取りは短くなります。あわせて、引用された法令名や条文番号を原典で確かめる手順も要ります。AIが生成した文章には、存在しない条文や別法令の番号が混ざることがあるためです。うるチカラでも、レビュー文面を経由した間接プロンプトインジェクションの危険として、外部から届くテキストを無条件に信用しない設計の重要性を扱ってきました。
第三に、自社がAIで返信を作る側に回ったときも、同じ責任を負うという点です。英国の指針が示した「簡潔さ・関連性・正確性を保つ責任は出した側にある」という原則は、そのまま社内規程に転用できます。AIが作った回答文をそのまま送れば、法令の解釈違いも誤った日付も自社の言明になります。表現面のリスクは薬機法・景表法の一次スクリーニングで仕分けたうえで、事実関係は人が確認して送る二段構えが現実的です。問い合わせ対応の自動化そのものは進めるべき領域であり、解決率の設計と運用の壁については別途整理しています。
今週からの初動アクション
まず、直近3か月の問い合わせログから、本文が1,000字を超えた件数と、その平均処理時間を数えてください。基準値がないと、増えたかどうかを判断できません。電話問い合わせを含めた全文ログ化まで進めておくと、テキストと音声を同じ物差しで比較できます。
次に、長文で届いた要求に対する一次返信テンプレートを1本用意します。争点を3点に絞ってもらう依頼文であり、対決姿勢を示すものではありません。三つ目に、法令や条文が引用されていた場合の確認担当と確認先を決めます。四つ目に、AIで作成した返信を送る前の承認ステップを明文化します。承認者を役職名で書き、誰が最終責任を持つかを曖昧にしないことが要点です。顧客対応の体制そのものをどう組み替えるかは、2027年に向けたCSの職種再定義で扱った論点と地続きです。
まとめ
英国の事例が示したのは、AIが書き手の負担を下げると、受け手の負担が跳ね上がるという非対称です。日本のEC事業者にとっての備えは、長文を敵視することではなく、争点を先に絞る手順と、引用された根拠を確かめる手順を先に決めておくことです。自社がAIで返す側になったときの責任の所在も、同じ原則で書いておけば足ります。
参考文献
- Judiciary of England and Wales・Presidential Guidance: Applications for interim relief(2026年6月)
- IBTimes UK・Britain’s Employment Tribunal Backlog Hits 64,000 Cases as AI Drafted Claims Rise
- Canadian Lawyer・UK employment tribunals tighten interim relief rules amid AI-driven surge in claims
※うるチカラでは、生成AIの導入支援から運用最適化まで、貴社のEC事業に合わせたカスタマイズ提案を行っています。無料相談(30分)も実施中ですので、お気軽にお問い合わせください。
https://uruchikara.jp/contact/
引用元: IBTimes UK
【監修】齋藤竹紘(株式会社オルセル代表 / 19年・5,000社のEC支援実績)

株式会社オルセル代表取締役 / うるチカラ編集長。19年・5,000社以上のEC支援実績を持ち、楽天市場・Amazon・Yahoo!ショッピング・Shopify・Shopee越境ECの実装ノウハウを保有。AI×ECに関する書籍を3冊執筆。「現場で使えるAI実装」を一次情報として発信しています。