トムソン・ロイターが約4,000万ドルを投じ、自社専用の言語モデル「Thomson」を公開しました。
法務・税務情報の大手であるトムソン・ロイターが2026年8月24日、OpenAIやAnthropicのモデルを借りるのではなく、自社で言語モデルを持つ道を選んだと発表しました。土台にしたのはアリババが公開しているオープンモデルのQwenです。金額の大きさより注目すべきは、同社が「なぜ借りずに持つのか」を三つの理由に整理して説明している点です。この判断軸は、規模が違っても日本のEC事業者にそのまま応用できます。本記事は、EC支援19年・5,000社超の実績を持ち、AI導入支援は2023年から提供する株式会社オルセル(うるチカラ運営)が解説します。
4,000万ドルの中身は計算資源よりも人と蓄積
結論から言うと、この4,000万ドルは「モデルを作る費用」ではなく「専門知識をモデルに移す費用」です。The Decoderによると、同社は2年以上にわたって人件費と計算資源に約4,000万ドルを費やしました。一部で語られる45万ドルという数字は、現行バージョンの最終学習ラン1回分にすぎません。しかも、この総額にはWestlawやPractical Law、Checkpoint、ロイター通信が数十年かけて積み上げてきたコンテンツ資産と、数百人規模の専門家の稼働時間は含まれていないとされています。
作り方も特徴的です。土台はアリババのQwenで、直近はQwen3.5-397Bを使ったといいます。まずインペリアル・カレッジ・ロンドンと組み、安全性・倫理・政治的中立性の観点でこの中国製モデルを再学習させ、「Snowdon」という中間バージョンを作りました。そのうえで自社コンテンツによる事前学習、専門家によるポストトレーニング、自社ツール環境の中でのエージェント型強化学習を重ねています。それでも投入済みのコンテンツは、利用可能な総量の10%未満だそうです。
CTOのJoel Hronは、オープンソースの出発点をこれまで6回近く差し替えてきたと述べています。リサーチ責任者のJonathan Schwartzは、大きな成果は個々のモデルよりも「作り上げたモデルファクトリー」のほうだと語りました。一度きりの学習ではなく、作り直せる仕組みそのものを資産と見ている点が示唆的です。
ベンチマークは僅差、勝敗を分けたのはデータへの接続
数字を見ると、Thomsonは万能な最強モデルではありません。スタンフォードのLegalBenchでは0.823でGemini 3.1 ProとGPT-5.5に届かず、Harvey Legal Agent BenchmarkではAnthropicのOpus 4.8のすぐ後ろにつけています。指示追従と難度の高いPrBench Legalではリードする一方、推論、とくにコーディングでは大きく見劣りします。加えてThomsonはtest-time scalingを使い、GPT-5.5は推論モードなしという条件差もあり、単純比較はできません。
もっとも興味深いのは自社Deep Researchベンチマークの結果です。Webアクセスだけの条件ではThomsonの事実正確性は0.53で、GPT-5.4の0.65に負けています。ところが自社コンテンツにアクセスできる条件にすると、0.83対0.82とわずかに逆転します。評価責任者のAndrew Beanは、Webアクセスのみでは他モデルの範囲内であってリーダーではないと率直に認めています。
ここで見落とせないのが、同じ自社コンテンツを与えるとGPT-5.4も同じくらい大きく伸びたという事実です。つまり性能を押し上げた主因は特化学習そのものよりも、独自データへの接続にありました。EC事業者が読み取るべき教訓はここにあります。価値の源泉はモデルではなくデータの側にあるということです。
内製を選んだ三つの理由と、EC事業者への当てはめ
同社が外部モデルのファインチューニングを避けた理由は三つあります。第一に経済性で、標準的なファインチューニングは汎用能力を劣化させる傾向が強く、推論コストとロードマップの両方でベンダーに縛られ続けます。第二にデータで、自社ツールの中で学習させることが性能ジャンプの源泉であり、その環境を外部に開放するつもりはないという判断です。第三に複利効果で、Hronはこれを「家を借りるか、買うかの違い」と表現しました。「長期的に自分が所有するものにエクイティを積み上げており、それが複利で効いてくる」と同氏は述べています(引用元)。
ただし記事は、この戦略が成立する条件も明確にしています。独占的なデータ資産、数百人のフルタイム専門家、品質を客観的に測れるワークフロー。この三つが揃う企業でなければ、自社モデルを作っても継続的な保守コストを買うだけになると指摘されています。日本のEC事業者の大半は、正直なところ三つとも揃いません。
では何を持つべきか。第一に、モデルではなくデータを持つことです。受注データ、問い合わせ履歴、返品理由、レビュー本文、商品の実測値。これらは自社にしかなく、どのモデルに渡しても効きます。GPT-5.4が自社コンテンツで大きく伸びた事実は、データさえあれば借り物のモデルでも十分に戦えることを示しています。
第二に、評価基準を持つことです。トムソン・ロイターの強みの一つは、品質を客観的に測れるワークフローを持っていた点でした。EC運営でいえば、商品説明文の良し悪しを転換率で測る、問い合わせ返信の質を再問い合わせ率で測る、といった仕組みです。評価基準がないままモデルを乗り換えても、良くなったのか悪くなったのかが分かりません。うるチカラの支援現場でも、評価指標を先に決めた店舗ほどAI活用の定着が早い傾向があります。
第三に、乗り換えられる設計にしておくことです。ベンダーロックインの実体は、推論コストとロードマップに縛られることでした。逆に言えば、プロンプトを社内資産としてテキストで管理し、特定サービスのUIに依存しない形で運用していれば、モデル側の値上げや仕様変更に振り回されずに済みます。トムソン・ロイター自身も、CoCounsel Legalをマルチモデル構成のまま維持し、管理者が切り替えられるようにしています。所有と併用は矛盾しません。
まとめ
Thomsonは当面、CoCounsel LegalのTabular Analysis機能という大量処理の領域から使われます。小型版は非商用ライセンスのオープンウェイトとしてHugging Faceで公開予定です。Hronは次の競争優位について、どうオーケストレーションするか、そしてどの知能を所有すべきかを知ることから生まれると語りました。
EC事業者にとっての結論はシンプルです。当面はモデルを借り続けるのが合理的で、そのかわり自社データと評価基準は自分で持つ。この線引きさえ間違えなければ、4,000万ドルを投じなくても同じ方向の利益は取れます。
参考文献
- The Decoder|Thomson Reuters bets $40M on owning its AI instead of renting from OpenAI or Anthropic
- Thomson Reuters|公式ブログ
- Qwen(アリババのオープンモデル)
- Hugging Face
- うるチカラ関連記事|Shopify制作は内製か外注か
- うるチカラ関連記事|ChatGPTで社内ツールを内製する
- うるチカラ関連記事|小型モデルでEC審査を内製する
※うるチカラでは、生成AIの導入支援から運用最適化まで、貴社のEC事業に合わせたカスタマイズ提案を行っています。無料相談(30分)も実施中ですので、お気軽にお問い合わせください。
https://uruchikara.jp/contact/
引用元: The Decoder
【監修】齋藤竹紘(株式会社オルセル代表 / 19年・5,000社のEC支援実績)

株式会社オルセル代表取締役 / うるチカラ編集長。19年・5,000社以上のEC支援実績を持ち、楽天市場・Amazon・Yahoo!ショッピング・Shopify・Shopee越境ECの実装ノウハウを保有。AI×ECに関する書籍を3冊執筆。「現場で使えるAI実装」を一次情報として発信しています。